店長プロフィール
はじめまして。
この度は、弊社のホームページをご覧いただき
本当にありがとうございます。
私は、イヌのマークの南大阪ペイントセンター
の榎本悟と申します。
父親が代表で、私が、そのお手伝いをさせていただいてます。
カンタンに自己紹介をさせてください。
●5歳で母をなくし、父も入院。孤児になった。
~「お金を稼いで、お父さんの病気を治してらくさせてやる」と誓う~
私は、大阪で、塗装職人の父親の元に生まれました。
父は毎日忙しく、早朝に出ては深夜に帰ってくるの繰り返しで、
休日はほとんどありませんでした。
ですから、父に遊びにつれていってもらった記憶はありません。
しかし、塗装の現場にはよくつれていってもらったものです。
その塗装現場にいくのが、楽しみでした。
なぜなら、幼い子供だったからなのか、いろんな知らない土地に行くことが
できたからです。移動には、オンボロの塗料のつんだ特有のにおいのする車です。
でも、私は、塗料のにおいが大好きな子供でした。
そんな父親が、毎日、忙しく働くのには、理由がありました。
お父さんが、病弱のため入院をしていてお金が必要だったからです。
安月給の職人なら、がむしゃらに働くしかありません。
父は、和歌山県の白浜町で生まれました。
わずか5歳の時に悲劇にあいます。
母親をなくしてしまうのです。
原因は、漁にでた船があら波にのまれ転覆。
小学生だった父は、小学校にはいきませんでした。
なぜなら、給食費を払うことができないほどの貧乏だったからです。
3度のめしもろくに食えず、近所の畑から野菜や果物を盗むこともあったそうです。
中学の時に父親が入院、その後、孤児院での生活だったそうです。
そんななか誓ったそうです。
「大阪へ出て、お金を稼いで、お父さんの病気を治してらくさせてやる」と。
大阪で塗装職人になった父は、人筋縄ではいきませんでした。
職人の世界は、本当に厳しかったようです。
少しのミスをすれば、なぐられたり、ひどいときには、はしごがとんできたり、
さらに、技術もなかなか教えない、そんな世界だったのです。
しかし、がむしゃらに働いたかいがあり、また、人間関係が得意な父は、なんとか技術を
マスターし、1年後に独立、若くして、小さいながら、社長として塗装業をスタート
させました。
それから、30数年・・・
それが、現在の南大阪ペイントセンターです。
さて、私の話にもどりますが、
塗料のにおいの大好きな私が、さらに楽しみだったことは、職人さんを見ることです。
現場にいつも、ついていって、よく職人さんが塗装しているのをボーッとながめていました。
テキパキ動くし、てぎわよく塗るのです。いつしか私は、
「かっこいいなぁ!僕も大きくなったら、いつか塗装屋さんになるんだ!」と心に決めたのを覚えています。
それから、10年・・・。
私は大きくなり、高校を卒業。
親の会社に入社しました。
実は、あまり入りたくなかったのを覚えています。
もちろん、子供のころの夢のことはすっかり忘れていました。
職人を3年ほど経験し、一通りの塗装の技術を学んだ私は、父親にある現場を
まかされることになりました。
それは、和歌山県の山奥の町にある小さな学校でした。
私は仲間たちと工事を開始し、外壁の洗浄を終えたところ、社長である父親が
来て、すぐに私に駆け寄りました。
「なにやってんだ!これじゃあ、まったくだめだ!」
実は、塗装をする前に外壁の洗浄という工程があるのですが
洗浄が不十分なことに腹をたてているのです。
もちろん、私の経験上、このままでも、大丈夫と判断したことです。
ですが、そのことで、父親と口論になりました。
しかし、すぐに決着はつきました。
「おまえは、目先の仕事しかしていない」
「我々の仕事は、建物の寿命をのばすことだぞ」
「やるからにはしっかりやれ」
私は、「はっ」としました。そして、ハンマーで殴られたような
衝撃が頭の中をかけめぐりました。
そして、今まで、やってきたことが、ガラガラと音をたてて崩れさるのが
わかりました。
私は、今まで、「塗ることしか目的」になかったのです。
正直に告白すると
「その場できれいになればよい」としか考えてなかったのです。
若かったせいか、寿命のことなど、一切考えてなかったです。
しかし、それは大きな間違いだと気づきました。
この事件の結果、私は、いろんな教えをいただきました。
本当の塗装というのを学ばせてもらったような気がします。
このことに気づかせてもらってからは、しっかりとやらなければと
いうよりも、こころの底から、しっかりやりたいという気持ちが、
ふつふつとわいてくるようになりました。
不思議なもので、手を抜くよりも力をいれる方が楽しくなっていました。
その後、その小さな学校は、しっかりと時間をかけて塗装させていただきました。
ただ、その学びは、仲間たちに伝わったかどうかはわかりません。
あとから、私の母に、聞いた話ですが、
実は、その学校は、父が昔、通っていた孤児院だったのです。
すごく、お世話になったということで、父の会社も、大変な時期だったのですが
数百万かけて、外壁塗装や室内塗装などを無料で奉仕させていただいたようです。
どこから、聞きつけたかのか、和歌山では大きな紀伊民法という新聞社が取材にきました。
その後、その件で、和歌山県の知事に父親が表彰をされました。
内緒の話ですが、
子供のころの夢を思い出し、一生、この塗装業で生きて生きたいと思ってます。
そして、父の後を継ごうとこころに決めています。
そして、まだ父親には、話はしてませんが、孤児院の塗替え奉仕作業、私が
引き継いでいきたいと思っています。
私の塗装経歴ですが、職人を経験後、お得意様の営業、塗装の訪問営業、官公庁の
営業を経験し、現在は、お客様サービス係、HP担当、その他裏方の仕事をしています。

